明治末期から大正末期は万田坑の動力のほとんどが汽罐場で石炭を焚いて蒸気を発生させ、それを動力としていました。汽罐場は1号ボイラー、2号ボイラー、3号ボイラーの3箇所があり、この場所には21号ボイラーがありました。2号ボイラーの蒸気は、坑底の蒸気ポンプ、捲揚機室、排気扇風機の3箇所に送られていました。両側にごらん頂けるレンガの塀は当時の汽罐場の壁で、この空間は元々汽罐場の室内になります。この室内に当初は英国製のランカッシャーといわれるボイラーが据えつけられていました。